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そこは地の果てアルメニア part2
                   
国境から首都エレバンへ
1998年10月

〈 前 編 〉

 アルメニアの入国審査を終え、バスは首都のエレバンを目指します。
地図
イラン→エレバン行程図
1 山の休憩
 南天を大きく西に回った太陽が、バスの窓をじんわりと暖めていた。
 国境の建物を出たバスは、ほどなくしてメグリという村に入る。だらだら坂の途中、街道脇にぽつりと立った茶屋の前で、バスはさっそく停車する。
 ──もう休憩か。
 先ほどアルメニアの入国手続きが終わり、首都エレバンをめざして走り出したばかりだった。しばらく走り続けるのだろうと覚悟をしていただけに、拍子抜けしたといえなくもない。とはいえ、今日は朝から国境越えの手続きにかかりきりで、ほとんど飲まず食わずに近かった。しかもイランからアルメニアに入った時点で、時間が1時間半も先に進んでいる。そのためまだ昼過ぎと思っていた時間が、一気に夕方になっていた。すでに4時が近い。
 食事をするには中途半端な時間だが、ここで腹ごしらえをしておこうという心づもりのようだ。この先まだ10時間ほどの長旅が待っている。
 国境からわずか15分ばかりの間に、さらに標高が上がったように思われた。四囲を急な山に囲まれ、谷も深い。しかしそのわりに緑は薄く、低い潅木(かんぼく)がまばらに生えるばかりである。山の斜面には、ざらついた茶色い地肌が目立っていた。サバンナを山にもってきたら、きっとこんな感じになるのではないかと思った。それでも、ところどころに民家らしき建物がみえる。貧しいなかに、ささやかな日々の生活があるのだと想像してみた。
 バスを降りた乗客の多くが、小屋のなかにぞろぞろと入って行くのが見える。
 ──まさに小屋だな。
 小さな木造の建物が、一軒建っているだけだった。街道を行くバス客を休ませるだけの、質素な休憩所といった風情である。
 私もバスを降り、二人の日本人バックパッカーとともに小屋に入る。二人とは、テヘランのバスターミナルで出会ったのだった。二人は、私と同じバスのチケットをもっていた。片方は書店勤務を辞めてきた社会人で、もう一人は大学生である。大学生は、もう授業が始まっているといいながら、あえて旅の勢いを断ち切る様子はない。
 小屋は、入ってすぐ右側が帳場のカウンターになっていた。その奥に冷蔵庫が、そして壁際に食器棚がある。カウンターの中には店の主人と奥さんが立って、客の応対をする。主人は従順そうな、寡黙な男である。対して女は色白の、目のぱっちりとした、やや脂の多そうなスラブ顔をしていた。目がぱっちりとして見えたのは、あるいは濃いアイシャドーのせいかもしれなかった。しかし化粧が派手なわりに愛想はなく、ふるまいも素気(そっけ)ない。どこから来たともしれない一介の通過客に、へらへら愛想笑いをみせるには及ばないということか。それともそれが、田舎商売のスタイルなのだろうか。
 それよりも、イランを3週間旅してきた人間にはもっと鮮烈な驚きがあった。
 ──人の奥さんがベールもかぶらず、濃い化粧で人前に立っている。
 ということである。ようやくノーマルな世界に来たという安堵感と、こんなに露出した女を見てもいいのかという道徳的な戸惑いが、しばらくの間、心中で混然と混じりあう。
 私たちは、カウンターとは逆の、入って左側の空間に踏み込んだ。外から見ると薄暗く思えた室内も、入ってみるとそうでもない。四人掛けのテーブルが7、8脚、ギリシャ文字のπの形に配置されていた。席は、私たち三人が座ってほぼ満席になる。客はみな、なにか食べるものを主人に注文しているようだった。主人は、小屋のすぐ前に置いたバーベキュー・セットのような焼き肉台で、肉を焼きはじめる。脂分の多そうな白い煙が、風に乗って空に舞う。
 奥さんは、冷蔵庫から飲みものを取り出していた。
 500ml入りくらいの、緑色のビンである。しかし好みがあるのか、みんながみんな飲んでいるわけではない。
「もしかしてビールですかね」
 サッカー好きの社会人が、残りの二人に意見を求めた。
「うーん、ビールっぽいですね」
 あいまいな返事を返したのは私である。
 大学生は、周囲のテーブルを回って無邪気にのぞきこむ「ビア?」緑のビンを示して男たちに聞く。何人かの男が「ビア、ビア」と答えている。
 ──もうイランを出たんだ。好きなだけ飲めよ。
 そう聞こえなくもない。
 三人の意見は、一致したように思えた。が、なぜか次の一言が出ない。互いに遠慮が先だつような空気があった。ここは私が言い出したほうがよさそうである。
「じゃあ、ぼくがためしに1本買ってみます」
 私の言葉に、社会人はちょっと申し訳なさそうな表情を浮かべた。大学生は、はじめから待ちを決め込んでいる。
「三人で味見しましょう」
 私は、ダメ押しのつもりでそう言った。
 ──ところで、ビールはロシア語でなんと言うのだったか。
 以前シベリア鉄道の旅をしたときに、少しロシア語を勉強したことがある。しかし付け焼き刃の勉強では、頭に残るはずもない。私は単語を思い出せないまま、奥さんの前に来てしまう。とりあえずは英語で聞いてみるしかない。
「ビア!」
「……」
 通じない。今度は冷蔵庫を指さして、
「ビエール!」「ビール!」
 とわめいてみるが、やはり通じなかった。私は一度下がり、近くにあったビンのラベルを確かめる。英字で KOTAYK と書かれていた。
「コタイク!」
 周囲の男たちの助言もあり、奥さんはようやく理解した。冷蔵庫から緑色のビンを1本取り出す。私はアルメニアの金をもっていないので、財布から1ドル紙幣を抜き出して奥さんに見せた。
「ドラー、モージュナ?(ドル、OKですか)」
「モージュナ(OKです)」
 しかし、いくら払えばいいのか。
 私は財布からさらに1ドル札を2枚取り出し、奥さんに3ドルを提示した。こういう場合、あまり高額を見せると、
 ──そんなに払う気があるのか。
 と受け取られ、ボラれる可能性がある。かといって少額すぎて、
 ──そんな金でビールが買えると思ってんのかい。
 と、相手を立腹させても不本意である。
 ほんとうは1ドルでも十分と見たのだったが、安全圏をみこして3ドルにしたのだった。ドル紙幣を見た奥さんは、電卓で500と打つ。ドルの換算レートのようだ。雑誌『旅行人』に掲載されたアルメニアの「スーパーマップ」によると、アルメニア通貨「ドラム」の対ドル・レートは、1ドル=500ドラムである。奥さんの言い値はまさに相場どおりであった。あんがい良心的なようだ。しかし私の注意は、レートからすでに目の前に置かれた緑のビンに移りつつあった。奥さんの示すレートには適当に「うん、うん」とうなずき、私は1ドル紙幣を差し出してビールを受け取る。渡された釣り銭は150ドラム。ビール1本、350ドラムのようだった。
 私はプラスチック・コップを3つもらい、いそいそとテーブルにもどる。
 二人が見守るなか、それぞれのコップにビールを注ぐ。ビンはすぐに空になる。一人200ccもないが、酒ならこのあといくらでも飲むことができる。まだ国境を越えたばかりだ。いまはただ、アルメニアのビールの味見と、イランの禁酒生活からの脱出祝いができればそれでよかった。
「乾杯!」
 カシッ、と素気ない音でコップがぶつかる。
 ごくごくと、半分ほどを一気に飲んだ。
 ビールの味には不案内ながらも、ヨーロッパ風の味がうまいと思った。周りのテーブルでは、直火であぶられた骨付きの肉が、皿に盛られて出されていた。いい匂いがこちらにも漂ってくる。考えてみれば、今日これまでに食べたものといえば、わずかにチョコレート・ビスケット1枚である。つい先ほどまで、イランからの出国とアルメニアへの入国で面倒な手続きが連続し、食事どころではなかった。しかし現金なもので、こうして一息つくと、とたんに空腹感が募ってくる。
 注文のタイミングを逃した観はあるが、われわれもたしかに客の端くれ、今からでも料理を注文する権利はあろうと、今度は社会人がテーブルを立ち、主人に一皿のバーベキューを注文した。
2 一路、エレバンへ
 みなアルメニアに入ってほっとしているのか、食事のあともバスは発車を急ぐ様子がなかった。小屋にとどまって雑談に興じたり、外に出てぼんやりとくつろいだりしている。この分だと、首都エレバンに到着するのは深夜になる。宿の目星はつけているものの、昨日からの長時間乗車と国境での手続きで、三人とも疲労度は高かった。深夜の到着はできれば避けたかった。とはいえ、今から心配してもはじまらないのも事実である。この先はもう国境もなく、あとはただバスに揺られていればよい。せいぜいリラックスして休養しようと思った。
 道は、あいかわらず山中を上下左右にうねりながら続いてゆく。国境のあたりはさすがに町らしい町もなく、また交通量も少なかった。それでも舗装はしっかりとして、バスの通行に支障はない。ただカーブが多く、スピードは出なかった。
 ごくたまに、路線バスとおぼしき小さなバスとすれちがう。二、三十年は使っていそうな、オンボロの車体である。塗装がところどころではげている。窓越しに、何人かの乗客が乗っているのが見えた。
 ──国境を越えるとは、そういうことか。
 物の良し悪しではない。農村地帯ということもあろうが、隣国のイランとはかなり系統のちがう世界に来たことを実感しはじめていた。
 山をいくつも越えた。
 峰はそれほど高くない。頂の標高は二千メートルくらいありそうだが、あたり一帯が高原になっているため、高度差は千メートルほどである。走っていると、たまにちょっとした集落があり、町がある。
 やがて名も知らぬ町に入った。
 街道沿いに、キオスクのような売店が並ぶ。通りの反対側には、コンクリートでつくられた7、8階ほどのアパート群──。地元の小学校のような鉄枠のガラス窓が、のっぺりとした平面の壁に整列する。ベランダのようなムダな突起物はない。まさに直方体の箱であった。
 ──朽ちている。
 と思うほどではないが、風雪にさらされた外壁の老朽化は隠せない。中で暮らす分に実害はないにせよ、それが町全体の空気を沈滞させていることは、バスの窓から見ても明らかだった。その一方で、止めどない消費社会からやってきた旅人にとって、眼前のつつましやかな風景は新鮮でもあった。しかし実際のところ、そこに暮らす人間に、はたしてどれほどの選択肢があるのか。あるいは諦め、あるいは何かをじっと待つ生活が、ただあるだけなのかもしれなかった。車内では、イラン人の奥さんがパナソニックのビデオカメラを回し、街路の様子を収めている。その無邪気な好奇心が、私には少し羨ましく思えた。
 数時間の間に、そのような小さな町をいくつか通過する。
 国境から4時間ほどが過ぎたころ、ようやくゴリスの町に入った。南の国境から来た人間が、最初に遭遇する町らしい町である。
 ゴリスのあたりまでくると、車の通行量も増えてくる。地形もいくぶんゆるやかになり、道幅も広い。バスはそれまで抑えてきたスピードをようやく上げはじめていた。エンジンの音も一段階低くなり、走行が単調になってくる。それに呼応するように、私の心も弛緩しはじめ、昨日からの寝不足のつけが急激に体に回ってくる。
 ゴリスに入ったときも時計を見るでなく、途中で何度か目を開けたものの、ほとんど寝たまま通過した。見たかぎり団地の類も多く、人口の多そうな町であった。それでも乗客が休憩できるほどの施設はないのか、あるいは先を急いでいるのか、店にも停まらずトイレ休憩もなく、バスは速度を落とすことなく街道を突っ切った。
 そこから先は、意識がばったりと遠のいてしまった。
 何度か眠りが浅くなった程度で、ほとんど熟睡したようだった。バスが停車する気配もまったく感じなかった。じっさい一度も停車しなかったのかもしれない。
 ──いったいどれほどの時が過ぎたのか。
 気がつくと、あたりは深い夜の底にあった。町だ。しかも、かなり大きな町だ。バスは、がらんとした広い通りに入ってゆく。夜のせいか、車線の幅がやけに広く感じられる。バスは大きな建物のあいだにゆっくりと回り込み、広い駐車場のようなところに入って停まった。ゴリス以降の記憶がなく、ついさっきゴリスを通りすぎたような気もするが、腕時計を見るとすでに夜中の零時を回っていた。
 ──もうこんな時間か。
 すっきりしない頭のまま周囲を見渡す。
 記憶の中にある地図の配置によると「共和国広場」の裏手に「ホテル・エレブニ」があり、さらにその裏に大きな駐車場がある。地図では、イランからのバスはその駐車場に着くと書かれてあった。
 ──もしかして、ここがそうか。
 道路といい建物といい、造りの大きさはこれまでの町に見ないスケールだった。どうやら首都と思ってようさそうである。ここがその終着点である可能性も高いだろう。
 顔見知りになった男が、後ろの座席に置いた荷物を取りに横を通った。
「エレバン!」
 男は、着いたぞ、といった表情で私たちを促す。私はすぐ後ろの席にいた日本人二人に「着きましたね」と声をかけてみた。二人とも、やれやれといった面もちで顔を上げた。