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旅雑記
ハンガリー空腹なう
(副題:ハンガリーでハングリー)
2015.6.126.17
 ハンガリー旅の断片を、思い出した順にのんびり連ねていきます。
〈 〉ベスプレーム2
Veszprém
写真
高台に建つ初代の王と王妃の像
6/12()18時半 ◇ ベスプレームの街は明るかった。それがヨーロッパの時間感覚なのかもしれなかった。日本なら一日の終わりが見え隠れする時刻だが、ここでは日が少し傾いてきた程度である。
 空の明るさに誘われて、高台にある城に観光に行く。
 「英雄の門」をくぐると、数百メートルの一本道が続く。これがこの「城」の唯一の通りで、その名も「城通りVár utca)という。城といっても天を突く王城がそびえるわけではなく、ちょうど弥生時代の環濠集落のように、統治機能を高台の上に上げて防御を強化したといった風情である。教会が幾棟か建っている以外は、2階建ての館が道の両側に並ぶばかりである。
 博物館や火の見の塔はすでに閉館しているので、開いていた教会をのぞいたあと、一本道を突き当たりまで進む。そこには上の写真のように、ハンガリー初代の王イシュトバーン1世と妃ギーゼラの像が、崖に背を向けて立っている。二人の表情に威圧的な色はなく、むしろ憂いを帯びてさえ見える。私は眼下に広がる午後のベスプレームを眺めながら、国政の未来を思いやる二人の声がいまにも聞こえそうな気がして、風の音にふと耳を澄ませた。

聖ミカエル教会/基層と修復部分の違いが明瞭

高台からの眺め(午後6時半)
参考データ
イシュトバーン王(1世):Szent István király(称制・在位997年〜1038年没)
妃ギーゼラ:Boldog Gizella
◇◇◇
 英雄の門を出て道なりに下ると門前広場に戻る。オーバーロス広場(Óváros tér)だ。7時を過ぎたので晩メシにしようと思うが当てはない。広場に面したカフェレストランをひとまず当たることにする。
 入口脇の壁に英語のメニューが出ていた。料理の名前の羅列を見たところで、何の肉をどう調理したとか、大雑把なところしかわからない。そんななか、申し訳程度に貼り込まれている幾枚かの写真のなかで、チャーハンのような米料理に目が止まる。
 どう見てもハンガリー料理ではない。どうせならハンガリーらしい料理をトライしたかったが、夜行でハンガリーに着いた疲れもあり、面倒な思考はすっ飛ばして食欲が前面に出た。ちょうど店のおばさんがいたので、写真を指さしながら、
「これ何?Mi ez?
と聞いてみる。
 説明されたところで理解できるはずもないが、聞かなければ何も始まらない。幸い答えはひと言、
「パエリャ」
だった。日本のスペイン料理屋で見るパエリヤとは多少様子が異なるが、西洋の料理ならバズレはなさそうだと踏み、パエリヤに決めて外のテーブルについた。
 出されたパエリヤは魚介のエキスが欠けていて、いっそ卵ピラフに近い気もするが、所々に散らばっている輪切りのオリーブが、辛うじて南欧の風をとどめている。観光エリアの店にしては見た目も味もよく、レモネード系ビアカクテルの酔いも手伝って、心地のいい夜となった。
 会計のとき、おばさんに店の名前を尋ねてみた。メニューの表紙をめくって指さした先に、café piAzza と書かれていた。ピアッツァはイタリア語で広場の意味だが、あとで考えれば、目の前のオーバーロス広場のことかもしれなかった。

「パエリャ」

ビアカクテル Gösser citromos
参考データ
店:café piAzza - Óváros tér 4, Veszprém
cafepiazza.hu(ハンガリー語)
マークハンガリー語にまつわる蛇足
 パエリャの発音:マジャール語(ハンガリー語)では語頭の音が高くなるので、パエリャの音の高低は標準語の〈トマト〉と同じく[高→中→低]である。
 店の名前を聞く言い方:レストランを表すマジャール語はいくつかある。使い分けがわからないので、一般的な étterem を使った。
 Hogy hívják ezt az éttermet?
(2015.7.26 記)