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コソボ日記
--- Days in Kosovo
2014.5.20tue.5.25sun.
5. ペーヤもしくは修道院
写真
町はずれの昭和な商店
icon2014年 5月22日(木)
 コソボ2日目です。首都プリシュティナからペーヤに移動してセルビア教会を見に行きます。
iconプリシュティナ
 朝の4時15分ごろに遠慮なくアザーン! 昨日は寝落ちして2時すぎに一度目覚め、そのあとイヤな夢を見て眠りが浅くなったところにアザーン。時差ボケもあって、すっかり目が覚める。
 寝落ちで途中になっていた日記の続きをこれからやる。お腹すいた。
 駅 へ
 7:07今日はこれから列車で移動。移動先はペーヤ。ペーチ総主教修道院を見に行くのだ。
 コソボの地名は片仮名で書くとアルバニア語もセルビア語も同じであることが多いが、ペーヤとペーチの場合は少し違う。この旅日記では地名にはアルバニア語のペーヤを使い、セルビア正教に関わる言葉にはセルビア語のペーチを使うことにする。
 7時10分ごろに宿を出る。出発が予定より遅れてしまったので早足で歩く。まずはUÇKという大通りを突き当たりまで。左折したあとは、駅までひたすら直進すればいい。急いでいるときに道が単純なのは大いに助かる。
 コソボに国内列車があると知ったのは偶然だった。何かの検索をしていた拍子に、プリシュティナ〜ペーヤ間の、わずか2時間ほどの区間にだけ旅客列車が運行されていることをみつけ、ぜひとも乗ってみたいと思ったのだった。
 ただし、便は朝夕の2往復しかない。ペーヤに朝向かうなら、おのずと7時50分発に乗ることになる。
 所要30分くらいをみていたが25分で着く。発車15分前。かわいらしい駅舎で、ほんとにこれが駅かと一瞬、疑ったが、中のがらんとしたスペースでは婆さんが所在なくベンチに座っているうえ、出口の先にはホームらしき様子が見てとれたので、十中八九、駅だと確信する。念のため、婆さんに「Është stacion?(語尾適当)と確認すると、どうやらそのようだった。私の言葉はコソボで使われるゲグ方言ではなく、標準アルバニア語だったが、婆さんにはいったいどう聞こえただろうか。
 ホームに出ると列車がちょうど入線するところだった。多くの人が列車から降りてくる。この路線はペーヤが拠点で、朝の列車はペーヤからやってきて、夕方の列車はペーヤで入庫する。発車までまだ少し時間があるので、一旦、外に出て駅舎の写真を撮る。
写真
プリシュティナの駅舎
 列 車
 7:50定刻に発車。車両はボックスシートで、見たところ空のボックスはほとんどない。朝はこの便だけなので、テレビ解説風にいえば貴重な庶民の足なのだろう。
 ここでペーヤの場所を地図で示しておく。
地図
コソボ2日目午前までの行程(Googleマップを加工)
 8:00車掌が回ってきたので切符の確認かと思ったが、ひとりひとり確認している風でもない。駅はふだんは無人だろうから、切符のない人は車内で買うと思われたが、車掌を呼び止めても反応が鈍いDua të blej biletë(切符を買いたい)と言うと、ふつうに切符を発行してくれる。
 ところが用はそれで終わらないと見え、車掌が何かを言ってくる。わからずに閉口していると、後ろから背の高い青年がやってきて「何とかコソボ…another train」と英語で説明する。いや、国内線はこれ1本のはずなので、乗り換えがあるとは思えない。どうにも腑に落ちないが、車掌は通訳が終わってすでに肩の荷が下りた様子で、席に戻る青年に礼を言っている。青年を目で追うと、斜め後ろの席に座る。流れに乗って私もサンキューと礼を言うと、青年は無言で親指を立てた。
列車 3(プリシュティナ→ペーヤ)
 8:03駅に停まる。大きめの駅だ。多くの人が降りると思ったら、あるおじさんが私を見て、降りるぞとジェスチャーで教えてくれる。
 ——あ、青年が言った “another train” とはこのことか!
 向かいのホームに別の列車が停まっていた。なるほど、たしかに another train だ。路線を乗り換えるのでなく、列車を乗り換えるのだった。ただ、コソボがどうとか言ったのがいまだに謎だ。しかし、これはすぐに判明した。この駅の名が Fushë Kosovë(フーシャ・コソバ)というのだった。まさかコソボが付く駅名があるとは思わなかった。
 コソボの人たちは素知らぬ顔をしながら大事なところで親切心を発揮してくれる。
 駅を出て列車が快調に走り出したあたりで車掌が巡回にやって来て、切符の確認をしていった。
 8:35季節のせいもあるだろうけど、郊外はほんとに緑が多い。石灰岩が多いギリシャあたりの山は木が少ないが、コソボの大地は有機分が多いのかもしれない。
写真
車窓に映る緑の大地
 8:48発車からそろそろ1時間。
 いま2つめのトンネルをくぐる。ざっと60秒ほど。照明設備はないようで車内は真っ暗。淡い影すら見えない。途中で後ろの車両から明かりが漏れてきたのは、客が点けたものだろう。
 その後もときどき短いトンネルを通過した。
iconペーヤ
 10:20ペーヤに定刻に到着!
 写真を何枚か撮ったあと、歩いてバスターミナルに。標高が少し高めの感じ。
写真
乗ってきた列車とホーム(?)
写真
ペーヤの駅舎
 朝昼兼用
 向かいの店でブランチ。
 この手の軽食屋が何を出すのかよくわかっていないうえ、適当な単語を知らないので、とりあえずサンドイッチと言ってみる。店主とおぼしき太めの男がガラスケースに入っているハンバーグ状の肉を指さし「これか?」と聞く。あまり選択肢がなさそうなので「Yes」と。今度は丸いパンを出してきて、これに肉を入れるか、と英語で聞いてくる。
 窓の下にガスコンロがあり、ちょうど焼き肉の要領で肉の円盤を網に乗せて焼く。パンを軽くあぶり、2つに割った中に多少の野菜(キャベツ?)を入れ、ケチャップをかけて肉を挟む。コソボ風ハンバーガーというところか。今後のために名前を聞いておけばよかった。
 ドリンクは冷蔵庫からファンタオレンジを勝手に取り出し、コソボ風ハンバーガーと一緒に店先のテーブルに持っていく。
バスターミナルのトイレ 0.30
ブランチ 2.30(内訳不明)
写真
ブランチ
 ペーチ総主教修道院
 ブランチ後はさっそく総主教座を目指す。
 しかし実のところ、ペーチ総主教座の位置づけがよくわからない。
 東方正教会にはローマカトリックの〈教皇〉のような明確な最高権威者がいない。格の違いや発言力の差はあるだろうが、セルビア正教会のような「独立教会」は、組織としては基本的に独立しているようだ。総主教というのはそうした組織のトップであり、総主教のいる場所が総主教座だ。
 ペーチ総主教座はしたがって、セルビア正教会のトップである総主教がいらっしゃる場所、ということになるが、セルビア正教の総主教は現在はセルビアのベオグラードにいる。なので、ペーチの総主教座は歴史的な場所ということになる。ざっくり言えば、東京に遷都するまで天皇がお住まいであった、京都御所のようなものかもしれない。
 目指す総主教修道院は、市の中心部を挟んでバスターミナルとは反対側にある。中心部を通ると少し遠回りになるため、街道沿いをひたすら歩く。晴天は気持ちがいいが、その分、日差しが強い。おまけに、傾斜はゆるいものの、だらだらと上っていく。途中、緑の多い公園があったので少し休憩する。
 大きな病院の先で中心部からの道と合流する。市街地はここで終わり、道は右に曲がりながらルゴバ渓谷へと入っていく。すぐに高い石塀が現れる。入口らしき大きな門があるが、詰所は無人で、車両用の出入口には遮断棒が下りている。入口でパスポートを預けるはずなので、人がいる入口を探して先に進む。高い頑丈な壁が道に沿って200メートルほど続く。テレビドラマに出てくる刑務所を思い出すが、この壁は閉じ込める壁ではなく守る壁である。
 奥の詰所にようやくたどり着く。KFOR(コソボ治安維持部隊)の若いイタリア兵が1人いた。
「これはパトリヤルジアですか」
 パトリヤルジアとは総主教修道院のことだ。
「いかにも」
「入れますか?」
「Yes」
「どこから入るんですか」
「No.1 Gateから」
 どうやら最初に見た門のことのようだ。殺風景な壁沿いの道を戻るのは気が滅入るが、仕方ない。Grazie!(グラツィア)と礼を言うと、陽気な返答が返って来る。部外者を拒む固い防備のなか、イタリア人の明るい対応に気持ちがほぐれる。
 最初の門に戻り、中に入ろうとすると、背後から Excuse me! と呼び止められる。無人と思っていた詰所に人がいた。中年の警備員が近づいてくる。緑の軍服ではなく、厳しい空気はない。
 日本をはじめアジアの国籍を次々に挙げるので Japanese と答え、逆におじさんがどこの人か私が尋ねる。先ほどのイタリア人の同僚という感じではないので聞いてみたのだが、答えはなんとセルビア人だった。外国から派遣されるKFORではなく、セルビア人がみずからセルビア教会を警護していた。
 パスポートを渡すと無線で誰かと連絡を取ったあと、引き換え証をくれる。ここはセルビア語の出番だ。Hvala lepo!(ありがとうございます)と言うと、力強い声で Molim lepo(どういたしまして)と返してくる。わずかにそれだけのやりとりだが、こちらのリスペクトが確かに相手に伝わった感触があった。四面楚歌のなかで言葉の力は強い。
 門を入ると手入れの行き届いた石畳が続く。横の牧草地では牛が放たれている。
写真
入口から続く石畳
 数分かけて曲がり道まで来る。道なりに右に回り込むと、右手に新たな城壁が現れる。外壁のなかの内壁。二重の防備。1389年のコソボの戦い以後、コソボの統治者はセルビア王国からオスマン帝国に移る。長い時間のなかで、さまざまな軋轢(あつれき)があったに違いない。
写真
内 壁(右側)
 内壁の門を入る。
 手入れの行き届いたスキのない庭に木々や草花が植わっている。丹精が込められて美しいが遊びがなく、どこかサナトリウム(療養所)を思わせる。あとで調べると、現在は尼僧院になっているらしく、ああ、なるほどと納得した。
 庭を歩いていると、どこからともなくシスターが現れて声を掛けられる。入口の守衛が連絡したのだろう。私は「Dobar dan!(こんにちは)とセルビア語で挨拶する。庭のなかを小川が流れている。
 向かう先に赤茶色の建物がある。あれが教会だろう。ここの管理人は必ずしも部外者を歓迎しないとガイドブックにあったが、目の前のシスターは柔和で、宗教者らしく感情の見えにくい静かさをたたえていた。
 この教会は珍しい構造をしている。
 4つの聖堂と、拝廊と呼ばれる入口の広間とが合わさって1つの建物になっている。最初からこういう造りだったのではなく、初めに聖使徒聖堂が建造され、後に段階的に増築されたようだ。
 言葉で説明するより図で見たほうが早いので、見取図を添えておく。パンフレットの図をお借りして、そこに聖堂の名前などを貼り込んでみた。左下の矢印が出入口だ。なお、日本語の名前は私が勝手に当てただけなので、参考程度に見ていただければ幸いである。蛇足ついでに書くと、生神女は「しょうしんじょ」と読み、神を産んだ女性を意味するらしい。カトリックなどでいう聖母マリアのことだ。
図
教会の見取図(パンフレットより抜粋、加工)
 グラチャニツァの修道院もそうだったが、ここの壁もほぼ全面が壁画で埋め尽くされている。拝廊だけでも多量のフレスコ画が描かれているというのに、拝廊からつながる3つの聖堂にもさまざまなフレスコ画が密に描かれている。このいわばフレスコ画の四重奏は、まるでカップ入りのアイスクリームとトリプルディップのアイスを一度に食べるくらいのずっしり感がある。
 聖画に包まれ、祈りの気に満ちた堂宇のなかで、貴重な文化遺産をしばらく眺めていたかったが、シスターは鍵の管理があって私を待っているので、ほどほどの時間で切り上げた。
パンフレット 1
 ペーヤの中心部
 帰りはせっかくなので北の道ではなく、中心部を通ることにする。帰りは道が下りなので楽だ。
 暑い中を歩いて疲労が募ってきたので、カフェが並ぶ川沿いのエリアでコーラ。どうやらこの辺りが中心部のようだ。コーラは16%の税込みで1€。氷とレモンが付いているとはいえ、いい値段だ。
 にしても、飲食店には必ずといっていいほど物乞いがやってくる。客はみな地元民のようで、とくべつ裕福にも見えないが、貧相な女や子どもが何か言いながら客の間を回っていく。応じる客はまだ見たことがないが、中国のように露骨に邪険に扱うことはなく、訪問販売の営業マンを断るくらいの冷静さがある。客にしてもどこか後味の悪さがあるのだろう。
 14:00この先まだ移動があるので、そろそろバスターミナルに向かうことにする。
コーラ 1
写真
コーラとグラス
写真
意外と洗練されているペーヤの中心部
※ 旅メモ
 2014年5月時点でペーヤのバスターミナルには荷物預かりがない。プリシュティナかプリズレンあたりから日帰りするのが無難かも。片道の所要はいずれも2時間前後。どうしても荷物を預けたい場合は、A ka dhoma e bagazheve?(ア・カ・ゾーマ・エ・バガージェヴェ?)と聞いてみるしかない。もちろん、間違ってもセルビア教会に行くなどと言ってはいけない。
〈表記対照表〉
 ア=アルバニア語、セ=セルビア語
ボタンア〕ペーヤ Pejë, Peja セ〕ペーチ Пећ, Peć
ボタンア〕Fushë Kosovë,セ〕Kosovo Polje
〈セルビア語表記〉
ボタンペーチ総主教修道院:Пећка патријаршија, Pećka Patrijaršija
〈関連リンク〉
ボタンプリシュティナ〜ペーヤの列車時刻表(trainkos, pdf)
ボタンペーチ総主教修道院:ペーチ総主教修道院(ウィキペディア)
ボタンPatriarchate of Pec(kosovo.net, 英語)
(2014.6.20 記)