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ラオス街エッセイ
3オントゥ寺にて ■ ■ ■
 基本的に坊さんの修行の場であるためか、ラオスの寺は総じて質素だ。がらんとした本堂と講堂と、あとは僧坊があるだけという所も多い。大乗仏教のように在家がむやみにお詣りをする場所ではない。
 かといって、参詣を拒んでいるふうでもない。地元の人たちはお布施を持って何かの供養に行くし、ガイドブックには何軒かの寺が紹介されている。このオントゥ寺にしても、先日訪れた旅行案内所のマップに紹介されていたのだった。由緒ある寺だそうで、境内には仏教を教える学堂もあるという。せっかく仏教国にいるのだからと、そのオントゥ寺を訪ねてみた。

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入口の門。ワット・オントゥ・マハビハーン

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本 堂

 開かれた扉から本堂に入ると、奥のでかい仏像の前に2人の僧侶が座っていた。ラオ語を印字したA4の紙を手に持って目を通している。お経かと思ったが、それほど熱心に読んでいるふうでもない。
 私が仏像の前に座ると、先輩格が「サバイディー」(こんにちは)と声をかけてくる。中国人かと聞かれたので日本人と答える。

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広い本堂の奥にご本尊が祀られている

 会話はそれで途切れたが、昨日訪れた別の寺で気になっていたことがあったので、思い切って聞いてみる。この寺でもそうだが、本尊を左右から守る菩薩のような仏像は、両手の手のひらを前に向けて立っている。まるでストーブに手をかざしているような仕草である。仏像や座禅における手の形を手印や印相などと呼ぶが、両手とも前に向ける印相は見た記憶がない。
 ——この印相は何を表しているのですか?
 僧の答えは聞き取れなかった部分も多く、正確なことはわからないが、人々を悪魔(マーラ)から守っている平和な状態を表すのだという。
 その後、話題は本尊の印相の話に移る。本尊の左手はへその前に上向きに置かれ、右手はひざの上でだらんと垂らしている。これはわりとよく見る印相だ。垂らした右手が地面に触れているものは触地印(そくちいん)や降魔印(ごうまいん)と言い、ブッダが悪魔に打ち勝ったことを表す。指先が地面に届いていないものも、おそらく降魔印のバリエーションと思われる。

 僧の話には悪魔(マーラ)という言葉が何度も出てくる。曰く、悪魔は自分の外側に存在するのではなく、自分の心の反映である。それを自覚することこそが悟りへの第一歩である、と。
 言葉で書くとなんとなく高尚だが(笑)、仏教の根本的な考え方くらいは私も知っているので、僧侶の言わんとすることはおよそ察しがつく。もちろん深遠な世界に降り立つことは土台無理な話である。それでもこの寺に15年住むという本場の僧侶と気楽に仏教の話をしたことで、少しはラオスの精神に近づいたような気持ちがして嬉しかった。

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本尊前

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仏教の学堂、サンガ・カレッジ

(2013.1.29 記、6.30 修正)