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カトマンズ雑記
洋々と満ちる

2012.12.302013.1.03

 カトマンズの寺は入口が地味なところが多い。愛想ばかりに英語の表記も出ているので、一見さんお断りというわけではない。ガイドブックにもしっかり紹介されている。
 旧市街に古くからある在家僧侶の寺をバハという。また、出家僧侶が住む郊外の寺をバヒと呼ぶ。カトマンズに数あるバハやバヒのうち、よく知られたものを数か寺再訪した。先住のネワール人が累代にわたって受け継いできた宗教世界が、そこに確かに息づき、折り重なって、木が朽ちていくような豊穣な香りを強く放っている。
icon ジャナ・バハ
 アサントーレに面した門を一歩入ると、旧市街の喧噪が背後に遠ざかる。白観音で知られ、そのヒンドゥー名から一般にセト・マチェンドラナート寺院などと書かれるが、本尊はその白観音ではなく、別の如来像だという。以前に来たときは夏で、ちょうど白観音が特別開帳されていた。今日は扉は固く閉ざされて、霊験(れいげん)の気配さえ漂わない。
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  正面に建つ2層屋根の仏堂
 中庭にはいくつもの小仏塔や仏像が所狭しと並ぶ。夕方の時間帯のせいか地元の信者はおらず、数人の観光客がカメラを手にうろつくばかり。寺にも目覚めている時間と休んでいる時間があるのだろう。
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)標識がぼつんと立つだけの地味な入口。()仏塔や仏像が並ぶ中庭
icon タン・バヒ
 タメル北部の大通りから地味な入口を入ると、正面に4階建ての仏堂が建つ。黄色と赤のコントラストが鮮烈で目を引く。3階の窓から何者かがこちらを見下ろしているが、いったい何者なのか。大いに興味をそそられるものの、残念ながら中に入ることはできない。
 風変わりな塔だが、由緒ある寺である。11世紀、インドの高僧アティーシャがチベットに布教に向かう途中でこの地に滞留し、そのときに建立したと伝えられる。
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  仏堂
 1階の正面付近には狛犬をはじめ、こまごましたものが置かれている。扉の上にある黄色い半円形の装飾板はトーラナと呼ばれ、精巧な仏像が刻まれている。広い寺ではないが、像や小物の一つひとつが異彩を放ち、しばらく居ても飽きない。

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)1階正面。1つひとつに意味があるのだろう。()マンダラを描いた石の台
icon イトゥン・バハ
 ガイドブックの道順に従って低いくぐり口を抜けると、細長い広場に出る。いきおい視界が広がり、解放感に満たされる。
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イトゥン・バハにつながる低い出入口
 この広場はイトゥン・バハの「中庭」であるらしく、狭い道が交差する旧市街にあって解放感にあふれているが、四囲を建物に取り囲まれている分、外界から隔離された秘めやかさが楽しい。
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     イトゥン・バハの「中庭」。左はキチャンドラ・バハ
 イトゥン・バハが何かについては「中庭」の名前だという説明と、広場の西にあるキチャンドラ・バハの別名だとする説明があって、どちらが正しいのかわからない。いずれにせよ、寺領は旧市街で最大だという。
 キチャンドラ・バハと思われる門をくぐると、小さい中庭に正方形の堂宇がどっしり腰を据えている。閉門が近いのか、管理人と思われる2人が熱心に掃除をしていた。建物の扉は残念ながらすべて閉まっている。
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)中庭の立派な堂。詳細不明。()仏足石
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)奥の本堂。木彫りの像が並ぶ。()本堂の正面。手前は祭祀用の炉?
 イトゥン・バハには4つの小寺が付属しているらしいが、どの扉も閉まっているので、その先が部屋なのか別の場所に続く通路なのか、皆目見当が付かない。この寺にしても、もしかしたら普段は閉まっていて、掃除のためにたまたま開いていただけかもしれなかった。
 前回この辺りに来たときは、さらに西の広場に抜ける通路があったような微(かす)かな記憶があるが、どのみちすべての扉が閉まっているので、詮索したところで意味がない。諦めて「中庭」に引き返す。
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   中庭の北側にある出入口
icon シガ・バハ
 通称カテシンブー。いつ来ても立派な仏塔に見とれる。仏塔が立派すぎて本尊があるのかどうかさえ意識にのぼらない。朝夕はチベット人が参詣する姿を見ることもあるが、日中は手持ち無沙汰の地元民らが油を売っている。
 シガ・バハそのものはチベットの寺ではないが、隅にチベット寺が建っていて、タイミングがよければ本堂から読経の合唱が響いてくる。
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)印象的な仏塔。()片隅にある寺。こちらはチベット寺
 ——限られた日程のなか、もう一度行きたかったネワール仏教の寺を再訪することができた。すでに退色していた頼りない記憶が、新たな色で鮮明に塗り直された。
(2013.6.15 記、2014.1.1 改)     
〈参考文献〉